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ようこそ、豊かな自然と清流に囲まれた、

「このがわ千年精舎 高龍山 善福寺」へ 

このがわ千年精舎 高龍山 善福寺とは
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善福寺,大竹市,岩国市,廿日市市,納骨堂,永代納骨,合同納骨,墓地,真宗大谷派,東本願寺
大竹市を流れる小瀬川(別名:木野川〈このがわ〉  古くから和紙と川と共に栄えた木野に住む地域の方々は親しみを込めて木野川と呼んでいました)
中流域に位置する「このがわ千年精舎 高龍山 善福寺」は、約500年続く近隣周辺には数少ない、真宗大谷派(東本願寺)の伝統ある寺院です。
時代を超えて息づき、地域住民の心の拠点となることをめざし、これからの価値ある千年紀を、皆さまとともに歩んでまいりたいと思います。
~このがわ千年精舎善福寺とは ~

物や情報に恵まれ何不自由なく思えても、深い所からこんこんと沸いてくる人間としての苦悩は、

お釈迦様、親鸞聖人、そして現代の私たちも皆同じ。

だからこそ、千年の精舎を。

善福寺は、(親鸞聖人の生涯を尋ね、また亡き方々の歩まれた足跡に思いを馳せ生まれ難くして生まれた意味と生きる喜びをお念仏の教えを500年にわたり、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきました。)

 

親鸞聖人の生涯を尋ね、ご先祖方を敬い、またこの世に生を受けたことの本分を訪ねていくことのできる身近なお寺として、約500年に渡り、多くの方々に親しまれてきました。

しかし近年、社会の大きな変革により、業者による仏事の商品化や簡略化が進み、手軽さばかりが追及され、本来の仏事の願いとは程遠いものとなりつつあります。その結果、利己的な欲求を満たすことばかりが優先され、さまざまな社会問題を引き起こしています。

そこで、今一度原点に立ち返り、地域に根付いた本来の「お寺」としての責務・役割を、見つめ直すことが重要と考えます。

善福寺のコンセプトスローガン「千年精舎」には、こんな使い捨ての時代だからこそ、先達の方々の願いを継承し、1000年という永いスパンで真に価値ある次の世へつなげていこうという揺るぎない意思が込められています。

親鸞上人は、「御同朋御同行」つまり、お念仏の教えのもとに生きる人は皆平等であると敬まわれました。

どうぞ、ご参拝や法要はもちろんのこと、相談・学び・出会い・歓談の場として、あらゆる世代の方にご利用いただきたいと存じます。

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高龍山 善福寺の500年の歴史

1400年代中頃/初代住職の知三(ちそう:俗名 有馬小兵衛)、大阪府北部の摂津に生まれる。

1473年5月/家臣として仕えていた室町時代の武将、細川勝元が死去。彼の死を弔うため、名を知三と改め出家得度。諸国行脚を開始する。

1523年3月8日/逗留先の大竹にて、本願寺第10世證如上人より、善福寺の寺号を賜る。以後、歴代住職を流布

1777年/本派より大谷派に転派。その後、現住職(代16世)釋紫雲に受け継がれ、法灯護持の任に当たる。

1914年/木野1丁目中津原地区の強い要望により、現在の元町2丁目から木野、両国橋手前に移築。

2004年/両国橋上流約100mの県道1号線沿いの早瀬ヶ追地区の木野川沿いに、本堂・会館・鐘楼・庫裏・墓地・駐車場を移築、再建。

2017年/鐘楼の改修と山門新築。

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